空気読んでこ

趣味や学んだことを雑談的に発信する場

平成最後の秋は激動の日々。切迫早産・入院・帝王切開を乗り越えて。

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どうも、KYです。(@ky_rta

 

こうやって落ち着いた心境でブログを書くことができる状態に喜びを感じています。

(厳密にいうとまだ全然落ち着いていないわけですが…)

 

切迫早産の発覚

 

即日緊急入院

 

周産期母子医療センターへの転院

 

緊急帝王切開での出産

 

NICU(新生児集中治療室)での治療生活

 

10月末からの1か月は人生においても1番心境が揺れ動いた日々でした。

 

 

 

 

の日は突然に

 

 

本日は午前中お休みをもらい奥さんの産婦人科同行でございます。

妊娠7か月の我が子はもう腹をドンドン、ムギュムギュと活発すぎる様子。

 

 7か月妊婦検診にでかける当日朝は浮かれていましたね。

妊娠発覚から安定期を順調に迎え、問題なく元気に育っていた我が子でしたので。

 

エコー検査でどれだけ大きくなっているのか楽しみに待合室で座っていたわたし。

すると突然慌ただしい様子で看護師さんに呼ばれました。

 

「切迫早産です。胎膜が少し見えてきています。」

 

とのお医者さんの診断。

 

すぐに救急車で緊急対応が可能な病院へ搬送されました。

 

対安静の入院生活

 

緊急搬送後、状況がよく理解できていない私たち夫婦にお医者さんが説明してくれたこと。

 

・切迫早産のリスクでいうと重症

・出産するまではずっと入院生活

・絶対安静でベッドに寝たきり生活(トイレ含む)

 

という状態でした。

 

本当に奥さんは辛く、心細い日々だったと思います。

出産予定日が3か月後と先が長いのに、明日がどうなっているかさえわからない。

 

初めての入院、そして少しでも妊娠期間を延長させるための治療。

なにより動くことを極限まで制限された生活。

 

そしてそれを支えるわたしも正直辛かったです。

毎日仕事帰りに病院に立ち寄り、動けない奥さんの手足となり身の回りの世話。

遅くに帰宅後は、家事などやらなければいけないことの準備。

 

世の中もっと大変な思いで闘病・看病をしている方がたくさんいらっしゃると思います。

先行きが見えない状態で生活していくって、こんなにも辛いものなのですね。

 

 

 

れでも長くはもたなかった

 

入院生活開始から1週間。

「破水しました。」と、仕事中のわたしのもとに連絡が。

 

もう頭の中は完全に真っ白。

職場で呆然としながらただウロウロ歩きまわっていたのを覚えています。

 

そして再び緊急搬送が決まりました。

 

胎児が「超低出生体重児 *1 」で産まれることがほぼ確定的になったので、

 より高度な医療を行うことができる周産期母子医療センター *2 へと移りました。

 

水からの闘病生活

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「破水=陣痛からのすぐ出産」だと思っていたわたし。

 

いまは子宮収縮抑制剤(張り止め)というお薬をつかって、陣痛を抑えることができます。

切迫早産で入院したときから張り止めの点滴をつかっていたのですが、破水してからも濃度を強めて少しでも在胎時間を伸ばすように試みていました。

 

しかしお薬なので、もちろん副作用があります。

わたしの奥さんのケースでいうと、「身体のほてり」「手の震え」でした。

 

濃度が強くなればなるほど、もちろん副作用も強くなります。

 

最後のほうはベッドに何個もアイスノンを置いて、身体を冷ますようにしていました。

 

子どもにはできるだけお腹の中で頑張って長くいて欲しいという気持ち。

その反面、奥さんの辛い姿を早く解放してほしいという気持ち。

 

本当に精神が削られる毎日でした。

 

 

 

王切開で元気に誕生

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破水から約1週間の入院。

そしてついにその日はやってきました。

 

「本日帝王切開で出産します。」という連絡を朝に受けたわたし。

 

まったくといったら嘘になりますが、動揺もあまりなく不思議と落ち着いた気持ちで病院へ向かいました。

 

というのも前日に奥さんから「明日たぶん産むことになると思う」と聞いていたから。

さすが母親、なんとなくもうお腹の赤ちゃんの状態がわかっていたようで覚悟が決まっていたようです。

 

奥さんが手術室に向かう直前に病室に到着。

お互い穏やかな心境だったのを覚えています。

それと同時に「世の中の母親はこうして強くなるのかな」と。

 

手術室に入って40分ほどで、我が子は手術室からでてきました。

そのままNICUへ直行して、生きていくための処置を受けます。

 

正直ここからは親は何もできません。

現代の医療技術を信じるだけです。

 

奥さんが手術室からでてきてから聞いた話ですが、

子どもは産まれてすぐに「泣いた」そうです。

もちろん弱々しくではありますが。

そして「手足は元気にバタバタと動かしていた」と。

 

在進行系で成長中

 

我が子はもともと出産予定だった2月までは少なくともNICUで入院生活を送る予定です。

 いまは24時間体制で小児科医や看護師さんに面倒を見てもらっています。

 

 

こんな小さなコでも助かるような体制ができてきたのがここ20〜30年くらいの話なので産まれた時代に感謝です。

それと同時に、先人の早く産まれたお子さんの症例や治療実績の上に生かされているのだな、と思うと本当に感謝の言葉しかないです。

 

日本において産科と新生児科が連携した低出生体重児を救う体制ができはじめたのは、1970年代後半だそうです。

 

まだまだNICUの歴史は若いんです。

 

そんな中で産まれてきた我が子は、なにか宿命を背負って誕生してくれたのかな。

そう思わずにはいられません。

 

奥さんが切迫早産で入院してから。

そして我が子が産まれてからもジェットコースターのように事態が目まぐるしく動きました。 

 

そんな中で助けになったのは先輩パパママの「ブログ」でした。

 

偶然にも、子どもができる直前からブログ発信をはじめていたわたし。

これもきっとなにかの運命なのかな、と思っています。

 

これからは全国で同じ境遇の多くのひとに向けて、NICU出身生になるであろう我が子の成長を綴っていこうと思っています。

(もちろん今までみたいに自由に書きたい記事も書きますけどね!)

 

全国のNICUの赤ちゃんが元気に育つことを願っています。

*1:産まれたときの体重が1000g未満の新生児

*2:ハイリスクな出産や新生児への高度な医療を行うことができる施設